生還なるか!濁流、恋ノ岐川

癒しの沢を求めて

この記事はプロモーションを含みます。

2024年8月6日。
それは長い夏季休暇の第一日目のこと。
二泊三日で癒しの沢釣行をしようと、Nおじさんと約束していました。

狙ったのは、釣り師のパラダイスと言われる奥只見にある「恋ノ岐川(こいのまたがわ)」。
橋から入渓し、一日目は清水沢との出合あたりで幕営、翌日はオホコ沢まで釣り上がり、オホコ沢で幕営、三日目は登山道に復帰して平ヶ岳登山口へ下山し、橋に停めた車を回収するという、車2台作戦です。


駐車場所&入渓点

集合はここで

この沢は行ったことがあり、その際は車が1台だったので、登山道(下台倉山の少し先のコル)から沢に降り、オホコ沢から上がってきました。
穏やかな沢という印象だったのと、エスケープルートとして使われるオホコ沢が、大変きれいな上に幕営適地がたくさんあったのが、選定理由です。

2023年9月、上流部分の様子

というのも、この2週間前、私は沢で心に傷を負ったため、沢に入ることが恐ろしかったのです。
二泊三日の行程に足るだけの長さがあって、危険な高巻きや登攀がなく、釣りもできる、そんな癒しの沢にしか行けない、そう思っての恋ノ岐川でした。
そう、癒しの沢になるはずでした。

駐車スペースの様子

曇天の入渓

天気予報では晴れのはずが、どうも空模様が怪しいです。
この時点(9時半ごろ)で既に降っていれば入渓しなかったのですが、中途半端に日が射すので、とりあえず入渓します。
橋の上から沢の様子を見ると、昨日まで雨が降っていたにしては、水量も少なそうです。
すっきり晴れてないから、キラキラしなくて地味な感じ。

キラキラしていればテンションも上がったかもしれませんが、刻み込まれた恐怖心のせいで、びくびくしながら遡行を開始しました。
今日の行程は清水沢出合いまで、2キロちょっとの短距離ですから、ゆっくり歩いても差し支えないだろうと慎重に遡行します。

それにしても地味な感じだな、なんか水もそこまできれいじゃないし。
釣りに良い沢かもしれないけど、沢登りとしてはあんまりかなぁ、というのが正直な感想でした。
しかもアブがすさまじい!
無数のアブがたかってきて、隙あらば刺してくるので本当にひどかった。
私たちをドリンクバーにすな!と、殺意がわいて仕方ありませんでした。

降雨の後だから若干の濁りも仕方ないよね、そう思いつつ遡行するうちに、徐々に、本当に徐々に、沢の色が変わってきました。
急激に濁ってくれば直ちに危険性を認識しますが、まるでカエルをゆでるたとえ話のようなゆっくりとした変化に、ざわざわするような違和感を覚え、

「もしかしたら上流は土砂降りなのでは!?」

との予感がしましたが、だとしたら非常に危険です。

うっすらと濁り始めた沢

その後、みるみるうちに濁って・・・は来ず、沢はこっそりと濁流へと姿を変えようとしていました。
たまたまその前週に、Nおじさんが岩井谷にて急な増水により12時間ヤブ漕ぎの刑をくらったと聞いていたため、

「これは本当にやばいのではないか?」

という予感がし、早めに高台に上がるという選択肢を選びました。

沢の土木工事

高台に上がると言ったって、無理に沢床から離れただけのことで、そこが普通に歩けるわけではありません。
ヤブ漕ぎしたり、危うい泥の斜面をトラバースしたりしているうちに、雨が降り始めました。
しかも雨は急に勢いを増し、いくら沢登りでぬれているとは言え、ゲンナリします。
いや、ゲンナリなんて言っている場合ではなく、このまま豪雨が続いたりしたら、いつ帰れるか分かりませんし、なんたって沢は電波が通じませんから、助けも呼べません。

篠突く雨の中、もう予定していた出合いを目指すよりも、早く幕営できる場所を探そうということで意見は一致し、手ごろな笹ヤブを切り拓き始めました。
土砂降りの雨の中、ずぶぬれになりながらノコギリを一心に振るう二人。
こういったことに慣れている強みを発揮し、阿吽の呼吸で幕営地を作り出し、ゴージュタープを張り、あっという間に今夜のお宿ができました。
ゴージュタープには、もう何度守ってもらったか分かりません。
私が死んだら、ゴージュタープで包んで燃やしてほしいです。

屋根さえ出来ればこっちのもので、先ほどまでの悲壮感はどこへやら。
明日、水が引くかどうかによって帰るルートを考えればいいし、そもそも日程は明後日まで取ってある。
とりあえず乾杯だ!

そんなパーティービバーク地から覗いてみた沢は、えらいことになっていました。
いつの間にか濁流へと変貌した川は、川幅いっぱいに轟音とともに流れ、沢床には全く歩くことができる余地が残されていませんでした。
明日の天気がどうなるか、生きるべきか死すべきか、シェイクスピアかいな、と思ったとて今はどうにもできないので宴会続行。
明日のことなど分からないのだから、今を楽しむべし。

濁流も、今は高みの見物

豪雨でも焚火で宴会

屋根が出来てお酒も飲んで、空腹も満たされたら、次の快適を求めてしまう人間の強欲さよ。
びしょぬれの服も乾かしたいし、虫よけのためにも焚火がしたいのです。
何より焚火は沢登りの華。
しかし雨でぬれた薪でも、できるのか?

結果、ちゃんとできました。
着火のコツはなんといっても、熱を逃がさないことと、着火剤の数の暴力です。
惜しみなく投入しましょう。
もちろん、基本的なコツ(太さをそろえた小枝等)を守った上でのことですが、着火剤は雨の沢の夜を救います。

着火剤は様々な形態のものがありますが、あれこれ試した結果、パックタイプが最も使い勝手がいいです。
ちなみに、冬になれば雪の上に白樺やダケカンバの樹皮が落ちていて、大変よい着火剤になるので、冬山を歩くときは積極的に拾い集めています。

焚火ができたおかげで着衣を乾かすことができ、シュラフをぬらさずに済みました。
沢登りでは「着替え派」と「着干し派」があり、私は後者ですが、焚火がないと辛いです。
今まで二度、焚火ができなかったことがありましたが、その時どうしたのかは記憶にございません。
ということは、着衣を乾かすことができなくとも、飲めばいいのか!


薪集め&作成はノコギリがキモ

焚火が出来れば、そこは天国。
雨が降っていようが、沢が濁流だろうが、快適な夜を過ごすことができます。
地形図を見ながら脱渓をどうするか、晴れたら遡行を続行するか、ケツを乾かしながら話し合いますが、どうせ翌朝には忘れています。

降り続ける雨と、酔いのめんどくささのせいで、そのままゴージュタープの下でごろ寝。
地べたで寝る時は、虫にはご遠慮いただきたいので、結界のように使う森林香も欠かせません。

生還なるか!?

翌朝目覚めれば、タープを叩く非情な雨音。
今日もぬれねずみで歩くのか、はたまたここに缶詰かと絶望し、現実逃避で二度寝を決め込みます。
天気予報では晴れと言っていたのに、との恨み節も出そうになりますが、山や沢の天気は分からぬもの。仕方ありません。
しかし今日もずっと雨で増水が続いたら、帰りは大変だな・・・延々とヤブ漕ぎするのはいやだな、でも自分達でどうにかするしかないしな・・・。

そんな憂鬱な朝なのに、紅茶とカヌレ。
紅茶は濁った沢水を沸かして淹れました。

カヌレが重いらしい。
とにかく今を楽しもう。

のんきにやっていたのはここまで。

朝食をとるうちに晴れてきたものの、どうやって脱渓するかというシビアな問題が残っています。
地形図をにらみながら、支流から登山道を目指すか、尾根を越えていくか、登ってきた沢沿いに下降するか、いずれも先の読めないものです。
沢遡行は滝がどうなっているか分からないし、尾根はヤブがすごそうで距離も長い、沢下降もヤブがある上に、沢を下降するとロクな目に遭わないのが身にしみている・・・と難しい選択ですし、この選択がこの後の命運を分けるかもしれません。
せめて、少しでも楽に、安全に、脱渓できるルートを選びたいものです。

先が見えないのが同じであれば、距離が圧倒的に短い、同ルート下降をすることにしました。
同ルートとはいっても、沢は増水して歩けないため、できるだけ沢沿いをキープしつつやぶの中を進むことになります。
ヤブ漕ぎだけで進めればありがたいのですが、地形図では分からない様々な障害があるため、同じ側をずっと歩き続けることは非常に困難です。
沢は状況によって、右岸、左岸、水線を歩き分けるため、沢床に降りることを封じられるのは致命的なのです。
苦しい下降を強いられながらヤブと戦いつつ進むため、距離もなかなか稼げません。

しかし幸いなことに、時とともに沢の増水も引いてきて、沢床も歩けるようになってきたようです。
これ幸いと渡渉を繰り返しながら距離を稼いでいると、おや?雨が・・・と思ったら、

「ドザーーーーッ」

なんという無慈悲な仕打ちでしょう。
朝のうちの晴れ間は、ものの数時間のことでしかなく、午前中からまたもやの土砂降りとなりました。
斜面の途中でセルフビレイを取り、しばし様子見をするも、全く止む気配がありません。
昨日までの雨を吸収した大地は、新たな雨を飲み込む余裕もなく、あっという間に再び濁流へと豹変しました。

渡渉を封じられた私たちは、左岸縛りで下降をすることになります。
入渓点が左岸側だったのが唯一の救いですが、急な斜面で強い雨に降られ、沢は濁流、翌日はさらに天気が悪くなる予報と八方ふさがりです。
しかし誰が助けてくれるわけでもなし、くじけたら死ぬだけですから、必死こいてヤブやら泥壁やら岩やらを越えていくしかありません。


できるだけ沢沿いを進みたいのですが、当然、そう都合よく進めるはずもなく、岩や崖に阻まれる度に、なんとか迂回しようと斜面を上がります。
しかし急な斜面のトラバースは危険すぎて、徐々に上に登りがちになりました。
すなわち、沢床から離れすぎて、あらぬ方向に行ってしまう危険性と、滑落の危険性が増すことになります。

急な泥壁を、笹や木を頼りに危うい綱渡り・・・脳にこびりついたヘイズル沢の悪夢が騒ぎ出しました。
悪い想像がとめどなくあふれ、生きて帰れるのか不安で仕方がありません。
癒しの沢を求めてきたはずなのに、どうしてこんなことに?


そんな焦る私たちの前に、残置ロープが現れました。
斜面についた細い沢筋にぶら下がっており、下部はなぜか編まれています。
編まれているということは、ここから下るなということでしょうか?
しかし藁をもつかむような気持の今、藁より丈夫そうなロープが出てくれば、つかみたくなるのが人情というものでしょう。
編まれたロープをほどこうとしつつ、崖の先がどうなっているかのぞき込みますが、先は見えません。
とりあえず降りてみて、ダメだったら登り返すか?

逡巡の末、藁をつかむよりも理性が勝ち、トラバースを続けることにしました。
後から振り返るとその先は滝と釜になっていて、降りたら大変なことになっていたと思うとゾッとします。

入渓点が近くなってくると、同じ目に遭った釣り人の脱渓ルートなのか、うっすらと踏み跡がある場所もありました。
生還への道筋が見えた気がして、希望が湧いてきます。
行けそうなところを行った結果、左岸を歩いていたわけですが、どうやらそれが正解だったようです。
消えたり現れたりする踏み跡を頼りに、

「私はー!絶対ー!帰るー!」

と、自分で自分を励ましながら、ここで落ちてたまるかと慎重に足元を確認しながら進みました。

もうNおじさんも、水を吸って重くなった荷物にかなり体力を奪われ、

「ちょっと休憩いいですか?このまま進んだら、事故る気がします」

と、なかなかにギリギリな雰囲気で緊張が走ります。
少し休んでエネルギーを補給し、草付きのトラバースへと一歩を踏み出しました。
もう入渓点の橋が見えていて、あと少しでこの苦行も終わる、そう思ってからが長いというのもお約束ですが、ようやく入渓点まで戻れた時は二人で拳を突き合わせて喜びました。

なんとか無事に脱渓することができたわけですが、途中、懸垂下降のおかげで助かった場面もあり、本当にロープとハーネスのありがたみを痛感しました。
どんなに簡単でロープがいらなそうな沢でも、ロープは必携です。
何があるか分からないのが、沢なので。

奇妙な満足感

疲労と生還した安心感から、帰りは焼肉を食べて帰ろう!となったものの、どこもやってなくて涙を飲みつつ適当な店でお腹を満たし、焼肉リベンジは後日ということで帰路につきました。
Nおじさんはアブに刺されまくって、ボッコボコです。
わざわざ新潟まで行って、ヤブ漕ぎとアブの餌になりにに行っただけという、何をしに行ったのか意味不明な二日間でしたが、無事に帰ってこられると不思議な充実感に満たされました。

楽しいだけではハマらない、それが山や沢ということでしょう。

焼肉リベンジは、その3日後から予定していた伊藤新道で果たされることになります。
いつまでこんなことが出来るのか、それは分かりません。

「来年の夏はどの沢に行こうか」

と、未来のことを話せるのは本当に幸せなことですが、それはいつか突然終わるのかもしれません。
しかしそれまでは、全力で今を楽しみたい。
それだけの日々です。