ヘイズル沢遭難顛末

アプローチは猛暑

関東の赤木沢と呼ばれるヘイズル沢。
群馬県の奈良俣から灼熱の林道を2時間歩いて入渓し、小至仏山へと詰めあがる沢です。
グレードは2級とされており、困難ではなく、美渓を楽しめる沢として知られています。

自家用車の場合はこのゲート前に停めるのがラク。
道幅も広く、駐車場ではないものの、軽く20台以上は停められそうです。

先行で既に1台

9時頃にゲートから歩き始め、入渓点まで2時間強かかりました。
ゲートすぐそばの水たまりには、おたまじゃくしがわんさかいて、横を通り過ぎると
「やべ!なんか来たぞ!」
とでも言わんばかりに、慌てて逃げようとします。
全く逃げられてないのがかわいい。

歩き始めはゆるやかな登りから始まりますが、その後はひたすらにゆるやかに下ります。
今回は諸事情により、小至仏まで抜けずに同ルート下降する可能性大と考えていました。
灼熱の中、延々とゆるやかに登りたくはないですが、その場合は車回収(小至仏から鳩待峠へ下山の場合)のためのタクシー代(13,000円程度か?)が浮く分、ゴージャスなランチが食べられる、ぐへへへ。
なんていつも通りアホなことを話しつつ、寿司だの焼肉だの言いながら、真夏の太陽にあぶられつつ入渓点を目指します。
この後の悲劇も知らずに・・・。


入渓点までのアプローチが暑くて辛いという遡行記録をよく目にしますが、想像以上でした。
ならまた湖の脇を歩く時は、木陰もなく灼熱そのもので、たった2時間程度の歩きでも思っていたより2倍は辛い。
背中にこもる熱を冷たい沢に飛び込んで消し去りたい、その一心で入渓点まで歩きます。

意外に地味な渓相?

入渓が11時過ぎ、そこから同行のFさんの沢ごしらえを待ちつつ水遊びもして、歩き始めたのは11時半くらいでしょうか。

入渓点あたりは地味な感じ

序盤はなんか地味というか、水もグリーン系で透明感に欠けるというか、

「関東の赤木沢?は?言い過ぎだろw」

とか言いながら遡行します。

すると、前言撤回な景色が・・・すみませんでした!!!
関東の赤木沢という二つ名は、伊達ではなかったようです。

癒しのチャラ瀬。
こういうの、いいですね~。

事故発生

遡行のペースも上がらないし、明日の天気も微妙、何より今回はリハビリのようなものだったので、早々に幕営地を決めることとしました。
先に進むより、遡行しながら目をつけていた良さげな場所に幕営しようと、沢を下降し始めます。

下降し始めて間もなく、午後2時半ぐらいだったでしょうか。
2段になっている滝を、私が先行してカウンターラッペルで降りた時、背後から、

「うわっっ!!!」

という声が聞こえて振り向くと、Fさんが2段目の滝をウォータースライダーみたいに滑り落ちてくるところでした。
もはやどうすることもできず、せめて捻挫で済めばいいなと思いながら、1秒にも満たない時間を見守りました。

「ぐああああぁあぁっっっ!!!」

しかしそんな甘い期待は、開放骨折とともに砕け散ったのです。

「こ・・・これは、開放・・・いってる・・・」

と、息も絶え絶えにFさんが言うのを聞き、自力で脱渓できるぐらいの捻挫で済めばだなんて思っていたのがいかに甘かったのか、思い知る・・・いや、まだ受け入れられない、そんな、まさか・・・。
混乱の極みにある私の眼前で、Fさんは足元の小さな水たまりから右足を上げます。
全ての荷重をがっちり受け止めたFさんの右足首は、奇妙な方向に曲がっており、行動不能→私が単独で下山して救助要請→今の時間では救助は翌日→Fさんは一人ビバーク→高確率で夕立、という一連の流れが私の脳内を駆け抜けます。

開放骨折

ふらふらになりながらザックを降ろし、岩盤に身を横たえながら、どうにか沢靴を脱いだFさん。
足首からは真っ白な骨が見えていて、母が以前に言っていた、

「お骨を拾った時に、骨が鶏の骨と同じに見えて、それから鶏肉は食べれんくなったわ」

というのを、場違いに思い出しました。
ま、私は平気で食べられますけれども。
出血が意外にも少なかったのが不幸中の幸いと、とにかく応急処置にかかります。
後に知りましたが、その後出血も結構あったようで、背中まで血まみれになったとか・・・。

今回、身に染みて思ったのが、沢へ行くのであれば、最低3人でパーティーを組みたいということです。
沢は電波が入りませんので、救助要請をするためには誰かが電波の入る所まで行かねばなりません。
3名いれば、救助要請の下山と応急救護を分担できますが、2名では要救助者を置き去りにする他ないのです。
止血、固定、保温、雨対策、食料と水、万が一熊が来た場合のための対策、そんなことを最小限で済ませて、一刻も早く下山して救助を呼ばねばならない。
もう一人いれば、即救助要請に走る一方で、もう一人は要救を励まし、もっときちんとした応急処置をして、要救が少しでも楽にいられる環境を整え、定期的にバイタルを取り、自然の驚異から守ることが出来るのです。

しかし今は、私がひとりでどうにかしなければならない。

震える手で骨が見えている場所にガーゼをあて、骨の部分はそっと、その前後はきつめに巻きました。
包帯だけでは心許なかったため、三角巾でその上から足首を固定するように巻き、さらにサムスプリントで固定。
そこまでやってから、要救が岩盤の上に寝ていることに気付き、マットに寝かせました。
そして手元に熊スプレーとポッケム(ヘリに現在地を知らせる発煙筒のようなもの)、食料、痛み止め、夕立に備えた傘やタープなどを置き、防寒着やシュラフをありったけ置いて、私自身を可能な限り身軽にして、共同装備だったロープを持ち、救助要請のために走り始めました。

単身での脱渓・下山

万が一私が負傷して行動不能になったり、死亡してしまったりしたら、葬式を二つ出すことになります。
そのプレッシャーと恐怖。
後ろから聞こえる、

「行かないでーーー!!! 気を付けてーーー!!!」

との二律背反の叫びを背に、私は渇いた口を潤すことも忘れて、下り始めました。

途中、高巻きしてきた所の残置ロープを見ては、正しい場所を下っていることに若干安心しつつ、脱渓までもう少し、もう少し、脱渓さえすれば滑落の危険もないから、走って電波の入る場所まで行ける・・・そう思っていました。
ところが最後の高巻きで、とんでもないことになったのです。

沢登りで、突破できない滝や淵を越えるために、それを迂回していくことを「巻く」と言います。
登りの時の高巻きは、行けそうなところから藪や泥壁に入り、高度を変えないか若干上げていけば、おおむね(あくまでおおむね)沢に戻れます。
しかし降りの場合は、同じ高度でトラバースすれば、沢床からどんどん離れていきます。
焦るままに、登りの時の高巻きのように藪を上がっていき、気づけば沢床ははるか下方。
これはまずい、どこからか下に降りられないだろうか。
そう思って崖っぷちを、木や草をつかみながら、下れるルートを探るように進みました。
左右交互に木をつかんだり草をつかんだり、どうにか危ういトラバースを続けていた時、左手でたった一本の笹をつかんで右足を踏み出したところ、足もとがごっぽりと崩れ落ちました。
下は岩盤で、高さは20mほどあったかと思います。

もはや私とこの世をつないでいるのは、一本の笹だけでした。
この左手が力尽きるのが先か、笹が抜けてしまうのが先か。
死神の鎌を喉元に感じながら必死に足場を探しますが、足はむなしく泥壁を削るばかりです。

私の人生はこんな終わり方をするのだろうか?
そう思った何度目かの蹴りで、ようやくかろうじて足場を得られました。
あわてて近場の木をつかみ、体勢を整えて、自己確保をしました。

高巻きで沢床から離れつつあったことは分かっていたのですが、所持していたロープは30mだったため、懸垂下降するには足りない恐れ(懸垂下降で降りられるのは所持ロープの半分まで)があり、なんとかならないかと進んだ結果がこれでした。
さらに、沢沿いの木は沢に向かっておじぎをするように生えており、通常の懸垂下降のように、ロープを木にまたがせるのは危険なため、懸垂下降を敬遠したということも、こうなった一因です。

これはもうだめだと、付近の丈夫そうな木を選び、少しでも長さを稼ごうとダイニーマの240㎝スリングでクレイムハイストを結び、そこから一本懸垂で降りることにしました。
ロープとスリングは残置することになりますが、命にはかえられません。
その後無事に脱渓したのが16時半頃、これで滑落死はないと思ったのですが、安心するのは早かった。

デカい熊!

脱渓後の長い林道歩きの中、一刻も早く救助要請をするために、どこかで電波を拾ってくれればという望みをかけて、LINEで所属会の連絡板にメッセージを入れました。
事故発生現場の緯度経度を知らせるべく、ヤマレコのログのスクショも送りました。
そして機内モードを解除して、あとは林道をひた走るのみと、水から守るためにザック内にしまっておいたスマホをウエストポーチに移しますが、

ポツ・・・ポツ、ドザーーーッ

と、予想はしていたものの、無慈悲な夕立が。
猛烈な雨の勢いから命の綱のスマホを死守しつつ、Fさんのいる場所は増水で流されていないだろうかと、不安と心配で心がすりつぶされそうになりながらも、涙すら出ません。

夕立はどのぐらいで止んだのか記憶にありませんが、往路で灼熱だった湖岸の開けた場所でスマホを見たということは、その頃には止んでいたのでしょう。
LINEのメッセージが「送信済」になり、若干電波も入るようです。
途切れ途切れでも構わないと、人生で初めての110をダイヤルしました。

「事件ですか?事故ですか?」

からの状況説明は、電波の悪さも影響して、大変もどかしいものでした。
そもそも沢登りをやる人なんてマイノリティですから、

「事故が起きたのに、なぜあなたはその現場から離れているの?」

というようなことも聞かれて、頭の上に5個ぐらい「?」が飛んだたのですが、今思えば無理からぬことですね。
何度か通話が途切れつつも、どうにか必要事項を伝達し、

「あなたは現場に戻らないでください」

と、そりゃそうだよなという指示を受け、一刻も早く安定して通話ができる場所まで行こうと、先を急ぎました。

とにかく救助要請は出来ましたが、今後警察から連絡があった際に応答できるために、通話可能エリアまで早急に戻らねばなりません。
必死こいて林道を小走りに進んでいたら、進行方向左手の斜面から、黒い鼻面がヌッと出てきました。

「ひっ・・・!!!」

と思わず息をのむと、これまでに見たどのツキノワグマよりも大きな黒い巨体が、そそくさと右手の斜面へと消えていきました。
ほんのちょっとタイミングがずれていたら、鉢合わせになったかと思うとゾッとします。
逃げて行ったように思える様子からも、大丈夫だろうとは思うものの、もし襲われればひとたまりもありません。
腰に下げた熊スプレーの安全装置を解除し、どのぐらい飛ぶのか試しにひと吹きしてみます。
が、噴射された赤さび色の煙の射程距離は、2メートルあるかどうかで、いかにも頼りない。
でも先に進まなければ、と逡巡していたら、ちょうどパトカーがやってきて、心底助かったと思いました。

その後、警察の方および救助隊と、詳細についてのやり取りを済ませ、ヘリでの救助が終わるまで最寄りの道の駅で待機することになります。

深夜に駆け付ける仲間達

道の駅に車を停め、コンビニで買った物を口にしたのが20時頃だったでしょうか。
そうこうしてる間に、所属の山岳会(のようなもの)から5名の救助メンバーがあっという間に編成され、22時半に1名と合流、間もなくして他4名も到着しました。
夕方からの移動で寝ずのままやってきて、すぐに現地に向かうというのです。
今から要救にアクセスしたところで、何かできるというわけではないかもしれませんが、来てくれたことが本当に心強かった。
人のあたたかみがこんなに沁みたことはありませんでした。

眠れぬ夜

私は指示された通りに道の駅で待機しますが、やはり眠れるものではありません。
開放部からの細菌感染も心配だし、夕立のことも、痛みによるショック状態の懸念も、明日の朝にヘリが現地に到着したら冷たくなっているんじゃないかという不安も、私がちゃんと救助を呼べたかどうかも分からないまま、たった一人で真っ暗闇の沢で痛みに耐える姿も、どれも拭い去ることなどできるはずもなく、ただ目を閉じて少しでも体力を回復させることしかできませんでした。

しかし正直なところ、最も私を苦しめたのは、落ちかけた時の恐怖でした。
無我夢中だった時は自覚していなかったのですが、後は救助ヘリを待つだけという状況になって目を閉じた時、恐怖がよみがえって身震いとともに飛び起きるのです。
そしてその恐怖は、自分が落ちた時の想像のみならず、一緒に沢に入った仲間が笹一本にぶら下がって青ざめている姿や、岩盤の上でザクロのようになっている姿を想起させました。
もう二度と沢には入るまい、もうこんな危ないことはやめよう、潮時だ。
そう思いながら、既に沢の約束でみっちりなこの夏の予定をどうしょうかと考えながら、CX-5の中で横になっては飛び起きてを繰り返しました。

ヘリ救助~救急搬送

翌朝も天気は雨がちで、ヘリ救助が遅くなるのではないかと心配しながら運転席で横になっていると、窓を「コンコン」と叩かれました。
ハーネスを着けたままの救助隊の方で、時間は7時過ぎだったでしょうか。
まだ雨も降っていて、救助は翌日になるとか、そういったネガティブなお知らせかと思いきや、ヘリでの救助が完了したとのこと。

生きてたんだ・・・!

安堵と感謝でオロオロしながらお礼を述べ、仲間達が入っていったならまたのゲートへ、急いで向かいました。
仲間達は三々五々戻ってきましたが、水を吸ってずっしりと重くなった荷物を回収してきてくれたのには驚きました。
受け取った荷物の重さといったら、よくもまあ、こんなものをと感心します。
私の夏シュラフ、ミニマリズムは無残にびしょ濡れのぺちゃんこで、
「これ、もう使えないかもね」
と言われましたが、ダメ元でエマールで普通に洗濯したら、前よりふかふかになりました(笑)。

丸一日半は寝てないメンバー達にお礼を言って、まずは救急搬送された病院へと向かいました。
しかし面会は叶わず、とりあえずスマホと充電器(これは我ながら気が利いている)と車に置いてあった手提げを病院に預け、松本へ帰りました。
道中、二人とも「命を拾ったな」という思いや、如来のように優しくて親切だった警察官のこと、助けてくれた全ての人たちへの感謝、両親が事の顛末を聞いたら卒倒するだろうなという思い、そんなものが脳裏をめぐっていたかと思います。

それでも沢はやめられなかった

あんなに恐ろしい思いをして、二度と沢には入れないと思ったのに、結論から言えば沢はやめられませんでした。
その後も、沢でゲリラ豪雨に遭ってあわやということもあり、傷口に塩を擦りこむような経験をしたにもかかわらず、です。
伊藤新道からワリモ沢をのぞいてみて、その美しさに心底舞い上がり、来年の夏休みはここを詰め上がろうと盛り上がりました。
まるでDVでボコボコに殴られながらも、たまにちょっとやさしくされただけで離れられなくなるような、メンヘラみたいですね。
異性に対してそういう思いは全くありませんが、沢はどうやら別格のようです。
危なかったり楽しかったり、そんな時に脳内に放出されるホルモンの中毒、セルフジャンキーなのかもしれません。
ただ一つ言えることは、逆順の不孝だけはしたくないということです。

ちなみにFさんのその後ですが、事故から1か月近く経つ今、ようやく本手術ができ、ICUに入っています。
壊死した組織やら足りなくなった骨やらを、自分自身の肉体からつぎはぎで移植することになりました。
入院期間も長くなることでしょうが、命があったし、足の切断もしなくて済んだし、それだけでもラッキーと思える…のかは本人のみぞ知るところです。


沢登りは命の危険を伴うことは分かっていたはずですし、死を身近に感じてもいたのに、その距離がさらに縮まるとうろたえてしまう。
情けないけれど、当たり前の心理かもしれません。
あれからというもの、どんなに楽しくて美しくて、天気のコンディションが良くても、心の底から楽しめないというか、
「この犬、めっちゃかわいくて人懐っこいけど、急に豹変して噛みつくんじゃないか」
みたいな、信じないぞ!!!という思いを払拭できません。

沢登りを始めたばかりの頃、新しく開いた扉が天国につながっているのか、はたまた地獄につながっているのか、なんて思ったものですが、地獄をチラ見してもやめられないとは、やはり中毒なのかもしれません。
でも、年齢的なものもありますし、あまりギリギリなことはやめておこう、とは心底思いました。

最後に、ひょうきん担当のNおじさんの言葉を引用して、このお話を終わりたいと思います。

「私は絶対けがをしませんよ。なぜなら、こんな楽しいことをあきらめたくないんで。」